ネズミ九想図

隣の部屋が空いてから数週間。

転送届けをしていないのか間に合わなかったのか、郵便物受けにいくつかの封筒がささっている。

隣人は居なくなったので放置されている。

梅雨入り前のある日の朝、隣の部屋の少し向こうにある木のそばで弱ったネズミを見た。まだ生きているが逃げることもせずフルフルと震えてこちらを見ていた。

飼い猫がうろつくエリアなので狩られたかオモチャにでもされたか、ひどく弱っているなぁとチラ見して出社した。

帰宅すると、隣の部屋の扉の真ん前に横たわったネズミの死体があった。コンクリートの上ではなくて土に埋めるべきと思ったが、わざわざ扉の前に死体が有ることに呪術めいた意図を感じ、恐ろしくなって素通りした。触らぬ神に祟りなしである。

それから毎日そのネズミの死体を見て出かけ、帰る時には死体の横を過ぎる生活となった。隣人は居なくなったので放置されている。死の呪術は空振りである。いや、自分に降りかかるかもしれないと思い、横を過ぎるときは地蔵菩薩真言を唱えて成仏を願っている。

ネズミの死体は血や体液が出るでもなく、毛皮を残したまま徐々に平べったくなった。虫などに食べられていったようだ。やがて骨だけになるだろう。

 

これを毎日見てゲンナリ落ちる気持ちと共に、無常を感じて死体に慣れていく感覚もある。そんな中、ふとドグラマグラでこんな風に死体が風化していく図を大事にしていた話があったことを思い出した。九相図である。

 

9日後に仏になるネズミを毎日拝んでいる。ネズミの九相図をライブで見る修行だ。徳の高まりを感じる。

それにしても死体を毎日目にするのは気が滅入る。死の呪術を乗り越えたい。諸行無常の理を我が物としたい。